私がカウンセラーをやろうと思ったわけ
私が誰かに相談したい、話を聞いてほしい!と強く思ったのは、高校一年の時。
中学校の友達が一人もいない高校で、私はいじめにあった。
女子ならではの陰湿さ。
すっかり人目が怖くなり、しょっちゅう早退してた。
担任の先生にも相談したけど、上っ面でしか聞いてくれず、何も解決しない。
いじめはクラスの女子のみならず、見ず知らずの他のクラスの女子にまで広がっていった。
高校2年。またいじめメンバーの女子たちと同じクラス。結局3年まで離れることはなかった。
一時、本当に嫌で高校辞めようと思ったし、親にも相談したけどわかってくれず、校長室の前でノックしかけたけど、止めた。
「きっと、大勢の生徒のうちの一人の事なんか気にするわけない。まともに相手にしてくれない」と私は心を閉ざした。
女子のみならず、想いを寄せていた男子からもキモいと言われ冷やかされ、高校生活はしんどかった。
あの時、真剣に話を聞いてくれる人がいてほしかった。
そして、2年前に過労でドクターストップがでて、心のバランスを崩して初めて心療内科へかかった時。
医者にどんどん薬を増やされる一方で、淡々と無表情のままの医者との会話は、まるでロボットと会話をしているようだった。
奥の扉にカウンセラーの部屋。
私は一度もその扉を開くことはなかった。
高校の時の私は、いじめてる奴らのために、高校辞めてたまるかって気持ちで無事高校を卒業した。
心療内科の時は、このまま薬漬けにされてたまるかって気持ちと、元の自分を取り戻すっていう気持ちで乗り越えてきた。
共通してるのは、どちらも乗り越えるときに「強い気持ち」を持ってたこと。
今、辛くても、未来は明るいと信じて、
この辛さを乗り越えて幸せを手に入れると決めたから、どん底から這い上がってこれた。
こういった過去を乗り越えてきて、
「強い気持ち」を持つこと、そして傷ついた自分を癒すことの大切さを学んだ。
くじけそうな時、悲しみに沈んでいる時は決断力が落ちてぐらついてしまうから、そういう時に力になりたいと思った。
マニュアル通りのようなカウンセリングはまっぴら。
心の通ってない会話はうんざり。
上っ面もいらない。
だから私は決めた。誰もいないなら、私がやろうと。
あったかい心の通った私なりのカウンセリングを、私のように辛い目にあってる誰かの…
ふさぎこんで怯えてる『私』の助けになりたい。
包み込んであげたい。
一緒に悲しんだり、喜んだり。
また前へ進めるように。
背中をそっと押して
とびっきりの笑顔を引き出して
あなたの味方でありたい。
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120分5000円
場所は横浜、都内ラウンジ
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